マキシマリストの通販生活ブログ

お買い物とか引っ越しとか断捨離など

ハードルを下げると感謝の念がわく

昨日のノープラン地下鉄で思ったこと。
親切じゃない人も当たり前にいる、ということ。

優先席で娘が騒いでいると、隣に座ったアラフォーくらいのお姉さんがあからさまに悪態をついてきました。
もちろん娘がクソうるさかったのが悪いんですけど、女性でこういう反応をする人が初めてだったので動揺。
日曜の昼間だったけど、休日出勤でむちゃくちゃ機嫌悪かったのかしら?

私は根が優しくて親切なので、そうでない人が理解できません。
べつにみんな親切であるべき!と思ってるわけじゃなくて、自然にしてたら普通に親切にならない?と思う。
なので「人はみんな親切なわけじゃない」ということが、肌で理解できてなかった。
でもこの一件で、みんながみんな親切なわけじゃないとスコーンと肚に落ちたんですね。

すると逆に、娘にかわいいと声をかけてくれる人の存在がグっとありがたく感じるようになりました。
これまでは無用に意地悪な人に対して「なんで!?」と思っていたんですけどね。
今は「そりゃそうだよなぁ(人間だもの)」と思います。

人に期待しすぎていたし、親切を当たり前と思っていたんですね。
だって自分は当たり前に親切するから。

でもみんなが同じではない。
私はたぶん前世が英国紳士かなにかだっただけなんだわ。


なんとなくそれから、人の意見に動じなくなるコツを掴みかけている気がします。
嫌な事とかいう人がいたら「そりゃそうだよなぁ(人間だもの)」。
いいことをいう人がいたら「ありがたい(得難い)人だなぁ」と自然に思うわけです。

私は今後も親切しますけどね。
べつに感謝されたいとかいい人ぶりたいとかないけど。
臨機応変さがないから「親切」という型にはまってるのがラクなんですよ。

嫌われる勇気とか流行ってますけど、私はたんに嫌われたときの「型」が決められない。
嫌われたときどんな顔すればいいか分からないの。
フリーズしちゃって困るから、嫌われたくないのよね。
(あんまり頭使うの好きじゃないのかも)
「嫌われたら鷹のポーズをとる」とか、なんかパターンがあれば別に構わないと思うんだけど。

メトロの旅

昔から「何かを決める」ことが苦手というか、嫌い。
でもそろそろ、他人軸・意志薄弱・優柔不断を治したいと思った。
すると読む本やサイトから、つぎつぎと「一人旅をしろ」というメッセージが降りてくる。

行きたいところもないし、なんだったら電車乗るのもこわいし無理だ!と思ったんだけど。
むしろ行き先を決めないでぷらっと出かける位がいいらしい。
その場その場での瞬発的な判断力を養うわけです。
(私は予期不安タイプなので)

というわけで昨日はとりあえず地下鉄で行けるところまで行こうと、娘を連れてぶらぶら。
けっきょく練馬と対極線にある押上まで行ってきた。
空港まで行ってもよかったんだけど、時間が時間だったので断念。
子供連れての引き際の練習になった。

スカイツリーには行ったことあったけど、はじめて水族館に入ってみた。
こぢんまりとした、ペンギンがメインの水族館。
二回でモトが取れるので年パス購入。
また暇なときに行こう。

創作ばなし

けっきょくスケジュールや目的地を設定すると、それが履行されないのが怖くなるんだな。
急な変更とかめっちゃ嫌いだし。
むしろなにも決めないで行動するのは案外いけた。
〆切とかも焦るだけだから、なにか作るときは〆切を設定しないほうがいいタイプなのかもしれない。

いま創作の本を読んでいるんだけど、よく考えなくても創作って「選択と決定」の集大成みたいなものだよね。
どうりでできない(完成しない)はずだ。

二次創作ならできるんだけどなー。
そもそも決断力がない人間に一次創作はハードルが高いかもしれん。
(でも本に書いてた「換骨奪胎」方式ならいけそう)


絵を描いたりも、線の一本一本の取捨選択だし。
すべてに通ずるところがあるので、決断力はほんとつけたほうがいいしつけたい。
旅自体は楽しめなくても、修行のために一人旅をしてみようかなと思う。

五代ゆう&榊一郎の小説指南 (ホビージャパンMOOK)

五代ゆう&榊一郎の小説指南 (ホビージャパンMOOK)

三〇

前記事で、外からの刺激に右往左往するのは「自分の足で踏ん張れてないから」と書きました。
けどちょっと違うかもしれないと思った。

自分を耐震設計にするのもいいけど、そもそも揺れの影響を受けなきゃいいのであって。
地面に足をつけなければいいのでは?と。

「地に足をつける」って、しっかりしろ的なニュアンスでよく言われますけどね。
外部の揺れに共振しても良い事あんまりなさそう。

なんかもっと独立した生命体として宙に浮いてたらいいんじゃない?
イメージがわいたので絵にしてみた。
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自分軸というより「自分球」みたいな。
ふわふわするのは得意だし、もっとふわふわしていこう。


そういえば、もっと趣味とかやる時間が欲しいのだけど。
「子供を預けてまでやるのもなぁ」と思って、自分に対して禁止してることに気づいた。

自分は「作るのがストレス発散タイプ」だと思うので、なんかもっと作る時間を確保したほうがいいのかも?
託児サービスなんて短時間なら、習い事いくより安上がりだし。
(自分がやりたい程度のことなら、もう習わなくてもできるしね)

今は自分の中で、アイロンビーズがアツい。
あとミシンも久々に触りたい。

幸い、夫が仕事場所を外に作ったので自分の部屋ができそうだし、そろそろ趣味時間を再開してもいいのかもしれない。

自分軸の作り方?

なんとなーくだけど、自分軸の作り方というものが見えてきたかもしれない。
便宜上「軸」「作り方」という言葉を使っているけれど、もっと不定形なイメージ。
「自分を練る」という感じかな?

自分軸って強固なものでも不変なものでもなく、常にアップデートされ続ける類のものかもしれない。
「取り戻す」「探す」「作り上げる」ものではなくて、育てていくようなイメージ。
「完成」や「正解」というものはなくて、なんていうんだろ哲学的な?
(まさに自分の考え=自分の軸やしね)

人生観

哲学の意味をググると「経験からつくりあげた人生観」とあった。

人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問。また、経験からつくりあげた人生観。

これな。
知識とか人の意見とかマジョリティとかマイノリティとかじゃなく、「自分」の「経験」から出てきたもの、それが自分軸。
だから経験が増えれば、人生観=自分軸も変わる。

あるいは「芸術とは何か?」という問いに対する、自分なりの答えみたいな。
芸術ってべつに正解とか完了とかないじゃないですか。
だから解答も「自分なり」でしかありえない。

人生とか自分っていうのは芸術みたいなものなのかもね。
だから芸術系の人って妙にキャラが濃いというか、アクが強いのか(?)。

別に絵を描いたりパフォーマンスしたりじゃなくて。
ああいう「在り方」がつまり、自分の軸があるってことなんだろうなぁ。

余談

ところでちょっとした疑問なんだけど。
なんでセミナーやってる人のブログ写真って、「海」「食事やケーキ」みたいな写真が多いんだろう???
自分なりの人生観を突き詰めた結果、判で押したように似たアウトプットになることが解せない。

いや別に好きならいいんだけど。
単純に疑問。
私も覚醒した暁には、海やケーキの写真をブログにアップするようになるんだろうか。

もしそうだとしても「お金の写真」だけはアップしたくないなぁ。
めっちゃ貧乏くさいよ、あれ。
高須さんくらいやるなら面白いけどね。

我想うゆえに青山あり

物心ついたときからずっとといえばずっとなんですけど、ここ数年は謎のイライラモヤモヤ焦燥感がひどい。
ミドルクライシス的なやつもあるだろうし、いろんな変化が理由だったりもするだろうし。

そこで「~という現象が起きている」と思ってみることにした。
「イライラする!」じゃなくて、「イライラという現象が起きている」。
すると一寸冷静に対応が考えられたりする。

甘え

この一連の現象を、すごく雑にいうと「甘え」になるんだろうなーと思う。
外部からの刺激にイライラクヨクヨと反応するのは、自分の足で踏ん張れていないから。

その現象の原因とか、現象に対する感情はどうでもよくて。
大事なのはどうやったら直るか?ということ。

もともと甘えてない人間と、甘えた人間では対処方法が異なる。
もともとしっかりした人なら「もとに戻す、軌道を正す」ことが目標となるけど。
もともと甘えた人は「自分を育てる、育て直す」ことが必要になる。

私は残念ながら、なぜか甘えた人間に育ってしまった。
原因はしらん。(このさいどうでもいい)
ほとんどの人には「自分で自分を育てる段階」があったんだと思う。
それをせずにきてしまった。

だからまあ、今からそれをするしかないんやね。
(自分を責めるのは時間とエネルギーの無駄だからやめる)

感動すること

私はよく「感謝の念が理解できない」と思う。
もっといえば「幸福感」とか「嬉しい」と感じることが少ない。
(だから感謝できないんだろうけど)

あるとき夫が「バスタオルがふわふわだと気持ちよくて幸せ!」と言った。
私の場合、「バスタオルがふわふわだ。以上。」となってしまう。
「気持ちいい」と「幸せ」がつながってないんよね。

食べることにも興味が薄い。
味が美味しいとは感じるんだけど、それが幸せと思わない。

「肌触りがよくて気持ちいい…だから何?」
「食事がおいしい…だから何?」
という感じ。

じつは私、根はけっこう「感動しぃ」なんだけど。
しょうもないことですごく感動してたら、バカにされた経験があったんだろうと思う。多分。
そこでスルー力がない私は「感動しない」という選択をしたんだろう。
ああかわいそう。


今日はあまりの暑さにエアコンをつけたら「涼しいーーー!!!天国や!!!」と、久々に感動した。
これな。
こういう、小さいことでもしっかり感激する(喜ぶ)訓練をしていかないといけない。

大して感動もしてないのに、いちいちカンドーカンドーいうんじゃなくてね。
わざわざ「日々感謝☆」とかしなくていいけど、ふつうに「嬉しいなぁ、幸せだなぁ」とじんわり感じること。
それが必要なんだろうな。

まずはそこから。
難しいことはその後のハナシよ。

余談?

「原因はどうあれ」という考え方は非常に大事だなと思う。
親のせい・環境のせいともいえるかもしれないけど、それを認めてしまったら「保育園に反対するジジイ」とか「妊婦に厳しいババア」も認めなくちゃならない。

今のジジババ世代なんて、直接じゃなくても戦争の影響はぜったいに受けている。
すべての老人が「戦争のせいで心の傷がー」とか言い出して、ワガママを通そうとしてきたら?
「わたしたちの世代はこれが普通!」って、育った環境を盾にゴリ押ししてきたらどう思うか?
普通に迷惑だ

だから私も恨みつらみはつきないけど、リアルに人に迷惑かけてるのでいい加減直したい。
理由なんかどうでもいいのだ。
今すぐ治れ。

「スピ理屈」あるいは「理屈チュアル」

私には信仰心がとんとありません。
実家の宗派もよく分からない。

でもスピリチュアルな人が言うことは、感覚的には分かる気がします。
というか、人間が自分の理解だけですべて測れるというのは傲慢でしょうから。
なんかしらんけど「何か」はあるんでしょうよ普通に、と思います。

ただ、理詰めで「それはオカシイ!」と言いたくなる人の気持ちも分かります。
スピリチュアルにやばいハマり方してる人を見ると、普通にゾっとしますもんね。
そういう人って多分ちゃんと咀嚼できてないか、言語で説明するのが下手すぎるんじゃないかな?

理屈で咀嚼する

私はけっこう理屈っぽいところもあり「心はスピ!頭は屁理屈!」みたいなバラバラ感があります。
今これちょっと面白いかもしれないと思いました。

スピってる人のいわんとしてる大切なことは分かるんですよ。
でもその説明じゃダメだろうと思うことも多い。

抽象的な言葉のほうが分かりやすい人もいれば、理屈が通ってないと分からない人もいる。
言語の違いに近いかもしれない。
そこを「翻訳」できたら面白いんじゃないかしら?

新ジャンル・理屈スピリチュアル。
略して「理屈チュアル」。または「スピ理屈」。

日本の人はいろいろあって宗教というと悪いイメージあるし、スピ系も敬遠しがちですけどね。
けっきょくみんないってることの根底は一緒だったりするじゃないですか。
あらゆる宗教の神様は、すべて同じものだとも思うし。


なんか気が向いたらやるかもしれません。

じぶんの好きなものを設定する

続・設定のはなし。

自分の好きなものが分からない!という悩みがずっとあるんですけどね。
「これが好きと決める」みたいな解決方法は、なんか違う気がしてて。
好きって決めるもんじゃなくて、自然と好きになるもんじゃないの?と。

設定する

そうはいっても、暫定的に「設定する」のは有効かもしれません。
やってみないと分からない部分もありますし。

マンガのキャラクターだって、好物や趣味くらいは設定されてるんですから。
じぶんのキャラクターシートを作るつもりで「設定」してみましょう。

【私の好きなもの】
・レモネード
・ハーブ
・森、山
・静かな場所
・環境音、自然音
・自然光、間接光
・幻想、空想
・夢かわいいもの
・淡い色、キラキラ、グラデーション
・素材、質のよいもの
・「なぞる」こと
・アイロンビーズ
・考えること
・考えを文字におこすこと

食べ物すくない。
いまちょっと「食べる」こと自体がしんどい時期かもしれない。

身体的なことも、やっぱり少ない。
無理にでもスポーツ設定したいけど、ピンとこない。
ヨガとかもなんか違うんだよなぁ。

とりあえず、
・歩くこと
でも入れとこう。暫定で。

オタク設定

私はずっと「自分はオタク」という設定で生きてきたので、それを外したときに他に設定がないんですね。
だからオタクにずっとしがみついているフシがあります。

今でも好きなものもありますけどね。
やっぱ90年代最高だけど、それは過去のものだから。
それはそれで大切にしながら、現在にも目を向けたほうがいいんだろうな。
過去のものはもう新しいものが作られないし。(作者も亡くなっていくし)
へんに新作つくられてもコレジャナイ感あるし。

自然や大昔の歴史って、わりと不変なのがいいんだろうな。
数年で流行り廃りとかないし。
だから年とると、歴史や自然に興味がでてくるのかも?

じぶんの「設定」を変える

セルフイメージとか自信のアリナシって、自分で「設定」しちゃってるそうです。
創作したりする人は「キャラクター設定」というとピンとくるかも?
あれとまんま同じことを自分自身に対してもやっているし、できるという話。

設定は変えられる

キャラクター設定と思えば、簡単に変えられそうな気がします
「主人公は実は○○の生まれ変わり」みたいな後付け設定がいくらでも可能。
キン肉マンとか、どんどん強さがインフレしていくし。

セルフイメージって高めるものじゃなくて「練る」「強くする」ものかもしれません。
キャラクター設定を「高める」って言わないもんね。
「強くイメージする」とはいうけど「高くイメージする」っていわないし。
(「高いイメージをする」ならいうけど)

私はそもそもセルフイメージが希薄。
「あなたはどんなキャラ設定の人ですか?」って聞かれても、「運と勘で生きている」くらいしか言えない。
自己に対して良くも悪くもイメージがあんまりないんですね。
悪いイメージなら漠然とあるけど、文字にできるほどハッキリした設定はありません。

キャラ設定ができてない、練られていない。
そういえば「キャラ萌え」も滅多にしないんですよね。
二次元三次元や自分他人にかかわらず、ヒトに興味なさすぎや!

セルフイメージを強くする

林原めぐみも「もっと強くイメージして(微笑んでる自分を)」と歌っています。
イメージ大事。

私もちゃんと自分を「設定」したいと思います。
しかもちょっと、強めな感じで。
「強めな自分を、強くイメージする」とかつよそう。

【私のキャラ設定】
・ストレス耐性がある
・細かいこと気にしない
・運と勘に自信がある
・健康
・不死身
・必要な行動がすぐできる
・行動の結果を引き受けられる
・マイナスなことも受け止められる
・オンオフの切り替えが早い
・オフのときは暇を満喫する

つよい。
こういう設定でいこう。

うみねこのなく頃に散 Episode8:Twilight of the golden witch(5) (ガンガンコミックスJOKER)

うみねこのなく頃に散 Episode8:Twilight of the golden witch(5) (ガンガンコミックスJOKER)

「ころころ設定を変える」というと、うみねこのガァプを思い出しますね。
(作中人物によって)もともとは魔女ベアトリーチェとして生み出されたのに、脳内設定の変更で「おまえ今から魔女ガァプな!」ってなるやつ。
このくらいの掌返しで、自己設定も変えていいんじゃないかな。


先日テレビで「子供のころは引っ込み思案な小太り男子だったのが、今ではシュっとしたコスメ店員」という人が出ていた。
リアルでもたまにこういう人いますよね。
行動や外見だけムリに変えた感じじゃなくて、表情や振る舞いとかほんと別人かと思うほど変わる人。

たぶんそういう人って「設定」を変えたんでしょうね。
自分はこう、って設定を変えた・決めた人。
でも根っこの良い部分はそのまま変わらないんだろうな。
もともとの良い部分まで変更したら、元より悪くなるだろうから。

あるセミナーを受ける前の記録

7/1に、とあるセミナーを受講することにした。
私はこれまで自己啓発っぽいセミナーに、2~3回行ったことがある。
どれも見事に合わなかったのだけど。

今回のセミナーは、気が付けばもう1年以上もチラチラ覗いているブログのもの。
金額もそこそこなので、これで合わなくてももう最期という意気込みでいく。

私はけっこう影響を受けやすいので、受講後は思考や言動がすごく変わると思う。
(一時的なものになるかは分からないけれど)
受講前にいまの「事前感想」を記録しておく。

子宮女子

事前情報で少し気になっているのが、主催者さんがちょっと「子宮女子」はいってること。
流行ってますよね子宮系。

こういう系の人が、いわんとしてることは分かるんですけどね。
ただ「子宮」ってすごいパワーワードすぎません?
個人的にはけっこうドン引きします。

でも私も思考優位になりすぎて身体性がすごく弱いので「もともとの生物に備わっている機能に沿うのがモアベター」という話なら、なんとなく理解できます。

布ナプキン信仰はちょっとなぁ…。
だったら化繊の下着はいいのかと。

腸推し

「女性は子宮で考える」とか「腸は第二の脳」とか、いろんな言説が増えてきましたよね。

なにかで読んだんですが、生物が脳を獲得する前の生き物(イソギンチャク?)にも生存本能があったという話。
脳がないならどこで考えてるんだと。

そういう生物には口と腸しかない。
だったら「腸が考えてる」とするしかない、という説がありまして。
(ここでいう「考える」とは、我々が思うようなことではないだろうけど)

これに妙に納得してしまったので、私は「腸」推しです。
「それは単に口とか腸が反射してるだけ」といわれるかもしれませんけど、脳だってただ電気信号に反応してるだけともいえますしね。

お金のハナシ

あともうひとつ気になるのが、お金の話の書き方が合わないこと。
べつに「お金って汚い」とか思ってませんけどね。

お金ってなにかの副産物だと思うので、主目的にするようなもんじゃないと思うんですよね。
血液がないと人は生きられないけど、血液のために生きてるわけじゃないじゃんみたいな。

私はやっぱ面白いこととか、好きなことを一番渇望しているので。
お金至上主義って単純にセンスないなぁと最近思います。

べつに主催者さんがお金至上主義ってわけでもなさそうなんですけどね。
たんに単語のチョイスが好みじゃないだけ。


ここまで引っかかることがあるなら、受講しなきゃいいじゃんてなりますよね普通。
けれどもう1年以上も気になっているので、その気がかりを払拭するためだけに受けてもいいやと思ったんですね。
前に進みたい。

あとやっぱ、実際会ってみないと分からない。
私マルチとか大嫌いですけど、夫は元マルチャーですし。
なにごとにも例外ってあるよね。

それから今までのセミナーと違って、女性主催なのももしかしたらカチっとくるかもしれない。
基本的に男嫌いなので。
(虚構のプライドが高い奴が多くて、自分もそうだから真正面からぶつかる)
(無能なくせに偉そうな男って多くないですか?)

というわけで人生最後のセミナー(?)がんばってきます。

「人に感謝されることをする」

何事に対してもいまいち「感謝」の念が沸きません。
感謝という概念を理解できてすらいない気がする。

なんというか「目からビーム出せ」といわれてるような感じ。
感覚的にまったくやり方が分からない。
我ながらひでぇなと思うけれど。


根本的な原因として「生きたくもないのに生きさせられている」という謎の被害者意識があるかもしれない。
誰かが何かしてくれても、この辛い感じが解消されないと感謝の気持ちが沸かない。
感謝できるのは、この「謎の辛さ」の解消に役立ったものに対してだけだと思う。
それ以外は何をしてもらっても「役立たず」だと心の底では思ってます。
(ほんとひどい。)

感謝されることをする

こちらのブログに「感謝の気持ちが持てないなら、人に感謝されることをしろ」とあった。
valuablefx.blog.fc2.com

恨みや憎悪は人間の感情の中で、最強の存在です。
決して、感謝の気持ちとは共存できません。
このような不満を解消しようともがいている状態では、
感謝すること自体、不可能なのです。

そんな人々に、
「感謝しなさい」
と伝えて、何か意味があるのでしょうか?

「ありがとうと言い続ければ、感謝できるようになる」
みたいな話もありますが、あれは精神に負担がかかるので、
お勧めしません。

本当に憎悪型の人間には、向きませんね。

「憎悪型の人間」といわれると残念ですけど、実際そんな感じ。

あと自分でも自分のことがよく分からないので、自分が喜ぶことより「人が喜ぶであろうこと」のほうが見つけやすそう。
これなら実践的だし、てっとり早い。

別に人を喜ばせたいわけでも、感謝されたい訳でもないんですけどね。
感謝されても嬉しくないし。

たんに「横断歩道の白線を踏まない」みたいな、退屈しのぎのアソビです。
暇潰しが誰かの役に立つなら有意義じゃない?
(あ、でも「有意義なこと」はちょっと好きかも。)

感謝されていくうちに、「これは感謝されることなんだ=自分も感謝したほうがいいことなんだ」と理解できるかもしれません。
(感情で理解できないからせめて頭から入ってみる)
なんかうまいことハマるといいなぁ。